誰かのためのブログ

読んでくれるあなたのために、一生懸命書きます。

どんな時も

どんな時も、自分は冷静でありたいと思う。

 

感情に身を任せず、

状況を見て、自分がやるべきことをできる人間でありたい。

 

出来ることなら、人と同じ土俵には立ちたくない。

自分が全てを包み込む人間でありたい。

 

損得ではなく、人として取るべきかどうか、

その価値観を軸にしていたい。

 

かつて、先祖が天から見ているから、

人は悪いことはできないと親から聞いた。

 

世の中を見ると、

そういう信念を教わって生きてきた人はまるでいないみたいだ。

 

人からされて嫌なことは人にしない。

 

たったそれだけで、

世の中から戦争は無くなるのに、

そんな単純なことなのに、

人は私利私欲に走る。

 

さて、あなたはどう生きるか。

そうやって生きた先に、何があると思うか。

 

誰にも分からないけれど、

僕はくだらない人生だけは送らないように、

一つの過ちで全てを棒に振らないように、

慎重に、大切に、感謝して、生きていきたい。

感動にお金は要らない

感動という言葉は、言葉にすると照れ臭い。

でも、何のために生きたいかと問われたら、

僕は感動するために生きていたいと思う。

もちろん、大切な人を感動させられる存在でありたいと思う。

 

どうやったら、人を感動させることができるか。

そう、感動にお金は要らない。

 

そのことに気づいた時、

心が軽くなった。

戻ってこれないかもしれないほどの

夢中になって観るドラマ、映画。

夢中になって読む小説、漫画。

そういう作品に出逢って、

夢中とは惜しみなく時間を費やせる沼のようなものだな、と感じる。

 

自分の思考がその作品の中に入って、

登場人物たちの気持ちに同調して、

喜怒哀楽を感じる。

 

それは、自分が今までの人生で感じてきた、

感じたことのある気持ち、

その片鱗を切り取ったかけがえのない感情なんだと思う。

 

喜びに元気をもらい、怒りに慰められる。

哀しみは自分はひとりじゃないんだと証明してくれ、

楽しさは悲観的な僕の背中を押してくれる。

 

そうやって、何とかやってきた。

 

だから、

これからも良い作品と出逢いたい。

ひとり

どんな人にも母親がいる。

産まれてから、成長する過程で、

自分が誰かから産まれた何て事実すら忘れ、

自分一人で生きていたい、

自分一人で生きていける、

そんな錯覚に陥る。

 

でも、それはいつか解ける幻だから、

気をつけてほしい。

 

いつか、人が恋しくなるし、

家族が愛おしくなる。

 

それを忘れずに、生きてほしい。

言葉の力

いつからか、分からないけど、

言葉が好きになった。

 

一文字一文字はただの音なのに、

それらが紡ぎ合って並べられると、

物語が頭の中に生み出される。

 

人によって文章の色があって、

その色がとても心地良い。

 

元気付けられるし、救われる。

 

だから、何となく言葉の力を信じている。

熱しやすく冷めやすい

あれだけ熱中してたのに、

突然やってきた興醒め。

 

それに気持ちを揺さぶられ、興奮し、楽しんでいたけれど、

一歩離れてみると何であんなにも熱心になっていたのだろうと、

凄く冷めた自分がいる。

気持ち悪ささえ感じてしまう。

 

そんな時、自分は薄情な人間なのかもしれないと思うことがある。

 

でも、それも自分かな、と思う。

誰かの不幸の上に

いわゆるハラスメントの類は、

自分の鬱憤をぶつけることに醜さを感じる。

 

例えば会社の上司に怒られ、その怒りを仕事ではなく、後輩に向けたりする。

 

でも、本当の意味での解消は仕事で返すべきで、同じ気持ちを他者にも味合わせることで気持ちは満たされるわけがない。

 

やはり、誰かの不幸の上にあるものにロクなものは無いと思う。

そう考えたら、自分がどうすべきか自ずと見えてくるのかもしれないな、と思う。

好きな音楽

あなたにとっての好きな音楽は、どんな音楽だろう。

 

きっとそれは、人によって違うのだろうな。

 

先日のテレビで甲本ヒロトが言ってた。

今の人は、音楽に意味を求め過ぎてると。

 

その言葉を聞いた瞬間、正直ドキッとした。

 

だって僕の音楽の聴き方は、

その音楽に意味をこじ付けて、自分の拠り所とすることだったから。

 

タイトル、歌詞、に今の自分を重ねて、

自分は1人じゃないんだと、救い出してくれる、

そんな意味を探してた。

 

それは、完全な間違いではないけど、

ある意味で、その作品を味わう、ということに関しては、

不十分だったのだと気付かされた。

 

もう少し、音楽に身を委ねてみよう、と思った。

手が届かないもの

夢は必ず叶う、という言葉と、

夢が叶うのは一握りの人間、という言葉は、

どちらも真実だと思う。

 

すでに夢を叶えた人にとっては、同じ意味の言葉なのかもしれない。

それは諦めなかった人間だけが辿り着けるステージだ。

 

努力を努力と思わない人や、

類稀なる能力・センスに恵まれた人にとっての当たり前は、一般ピープルから見た当たり前とは雲泥の差がある、

そういうことなんだと思う。

 

それでも少なからず、自分はいつかこうなりたいという思いは持っているし、

幸せな日々を送っているんだろうな、という実感はある。

 

嫌いな人もいるけど、好きな人もいる、

自分の命に換えても守りたい人もいる。

それでも自分の力が及ぶ範囲は限りある、

ということも分かる。

せめて、自分の手が届く範囲の人々には豊かな人生を送ってもらいたい、という想いが、

今の僕を動かす原動力になっている。

 

日々の時間は驚くほどに過ぎるのが早い。

 

人は現状に慣れてしまい、満足を味わえなくなる瞬間がある。

そういうときは、自分を客観的に見詰めてみる。

 

誰かが言ってたよ、

人生はプラスマイナスゼロだって。

山もあって、谷もあって、いつか辿り着くその先は、他の誰かが決めるものではなく、

自分が決めるもの。

当然、その価値も自分次第なんだと思う。

でも、自分の大切な人たちとは、

そういう大切な部分を共感したいよね。

 

だから、手が届かないものを嘆くよりも、

手が届くものに最大限に力を尽くそう。

 

サブスクを契約しました。

CDショップへ行って試聴して、

気に入ったCDを買う。

もしくは、見た目で気に入ったCDを買う。

あるいは、友達や兄弟のお気に入りのCDを借りる。

そのCDを持って家に帰る間、早く聴きたい、どんな曲だろう、というワクワクした思いは、

今思えばとても貴重なものだったのかもしれない。


サブスクリプション、いわゆるサブスクの登場は、アーティストのマネタイズの仕組みだけではなくて、

音楽の在り方を変える大きなパラダイムシフトだと思う。

 

僕らコンシューマーからしたら、

CDショップ何十店舗分以上ものCDが手の届くところに陳列されている状況だ。好きな時に好きなCDを聴くことができる。

 

今までは限られたお金の中で何を買うか吟味して、手に入れてたモノが、

月額千円でほぼ何でも聴くことができる。

 

CDを買って自分のモノにして聴くことと、

サブスクで聴ける状態にある曲を聴くこと、

この2つにはやっぱり差があると思う。

 

だから僕は暫くサブスクの契約をしていなかった。

何だかそれは対等ではなく、

僕らコンシューマーに有利なサービスのような気がしていたからだ。

自分が支払ったお金は、どこに行くのかよく分からないし、

そのことによって、曲に対する自分の気持ちが疎かになってしまう気がしていた。

 

でも、ツイッターを始めて、

有名アーティストがサブスクで次々と新譜をリリースする事実と、

新譜をみんなでワクワクしながら待ってる人たちや音楽を日々掘り漁っている人たちを見ていたら、

どうやら変わらなければいけないのは僕の方じゃないかと思い始めた。

 

アーティストにとっては、

沢山の人に機会を与えられる場所が無限に広がった。

ならば僕らはそのもらった機会で大いに盛り上がるべきだ。

などと考えてみたら、

それはまさに何の為に音楽を聴くのか、

という答えを探す旅の新たな第一歩のような気がしてきた。


好きな曲を好きな時に好きな場所で聴く。

好きな人と好きなだけ聴ける時代が到来している。


アーティストには感謝しかないよな、と思う。

どうもありがとうという気持ちで、

サブスクで音楽を聴いていこうと思う。

 

Radiohead - Nude 内側にある希望

誰を責められるだろう。

責めて何か変わるだろうか。

もし、僕らが大きな理想に囚われているのだとしたら、

それは不幸への第一歩かもしれない。

でも、その理想に賛同したのであれば、

それは自分の問題でもある。


社会で起こるさまざまな問題を考える時、

この一連の思考を巡り、結局今の状態を選択してきたのは、僕たちであり、僕たちの周りの人たちであると思う。

それが大きく括った自分たち自身の選択ならば、

僕たち自身で是正していかなければいけない。

そういう状況で自分にできることは何か、と、

そういう考えに及ぶ。


ここは敢えて自分の外側ではなく、

自分の内側、つまりは、自分の手の届く範囲に焦点を当てるべきだ。

手の届く範囲を”幸せ”にすることが、

人間の最終的な使命だと思うからだ。

 

当然、その中には自分自身も含まれている。

自分自身と周りの大切な人たち、それだけでいい。

でも、忘れちゃいけないのは、

幸せの定義は人それぞれ異なるけど、

誰かの不幸を土台にするものではない、

ということだ。それだけは永遠に揺るがない。

 


僕の好きなRadioheadの曲にNudeという歌がある。

その一部の歌詞を書いてみる。


“Don’t get any big ideas”

自分の手の届かない物事を考えるのは、

やめた方がいい。


“They’re not gonna happen”

何も起こらないから。


“You paint yourself white”

自分自身を白紙にして、


“And fill up with noise”

ノイズで埋めよう。


“But there’ll be missing”

でも、それだけではまだ足りないんだ。

 

 

この”ノイズ”とは、余分な情報だ。

今風に言うと多様性ではないだろうか。


“足りない”ものは何か。

情報が揃った後にやるべきこと、それは意思を持つことであり、行動することだ。

 

さまざまな価値観を取り込み、

意思を示すこと、意思疎通を図ること、

そして、それを形にしていくこと。


それが必要だと、トムヨークは歌っているのだ。そうやっていかないと知らず知らずのうちに地獄に落ちてしまうよ、と教えてくれている。


僕自身、何が言いたいかというと、

自分の外側のことを嘆いているだけでは何も始まらないし、

それは何もしていないのと同じで、

そんなことしてる時間はもったいない。


だったら内側、そう、手の届く範囲に焦点を当て、

そこから変えて、形にして行ったら、

それは揺るがないものになるのではないか。

 

そして、刻一刻と変化する外側に一喜一憂することなく、

内側から外側へ向かう準備ができた時、

それは外側に潜む大きな化け物を駆逐できるのかもしれない。

 

そういう希望や可能性を歌った歌だと思う。


外側にある絶望ではなく、内側にある希望。

それが今、1番必要だと思う。

 

 

ハートドリブン - GENKI SHIOTA

約13年前に社会人になった時、自分の仕事へのスタンスは、『寝るのは死んでからでいい』だった。

 

一生働くつもりで、この会社のために、

出来る限りのことをする。


心や身をすり減らしながら働いてきた13年間だった。

 

ムダなものを排除しろ、

目標に向かって最短距離を突き進め、

と教えられてきた。

 

そういうふうに、日本全体がイノベーションが起きにくい環境に成り下がってしまったのでは無いか。改革にはムダな余力が絶対不可欠なのに、

と日々悶々としていた。

 


僕は開発の端くれなので、

ゼロから何かを考えなくてはならない。

 

だが、ムダな贅肉が削ぎ落とされ、

可能性の選択もシビアな状況で、安全な道しか選ばせてくれない。

そんなんで、良いものが生み出せるわけない。

 


ハートドリブンはそんな僕に新たな気づきをくれた。

 

僕も多くの観念のモンスターに囚われている。

 

『休暇を取るのは怠慢だ』

『頑張るってことは長く働くってことだ』

『周りの人が不快にならないよう、目立たないように働くべきだ』

 

長い目で見ると本当は会社のためにならないことを教え込まれて、僕たちは窮屈に働いている。最終的に自分を追い込んでいるのは、自分自身の考え方だ。

 

膨大な時間を過ごす会社がそんな状態なら不幸すぎる。

 

ならばどうするか、自分が進むべき方向へ変わっていくしかない。

 

魂の進化だ。

 

今まで捨ててきてしまった大切なものを、

取り戻していく必要がある。


人はロボットじゃないから、感情がある。

その感情を押し殺す必要はない、ということだ。

辛い時には辛いと言い、嬉しい時には嬉しいと言える環境を作る。そういうナチュラルな状態にいれば人の能力が最大限に活きる。

 

企業における売り上げは社会からの評価で、

利益は僕たちが生み出した付加価値だ。

 

この付加価値を生み出す鍵は、僕たちの心にある、そういう解釈だ。

 

縮こまっていて、新しいものが生まれるわけない。強い気持ちを作るんだ。


強い気持ちをどうやって作るか、

そこにサイモン・シネックのゴールデンサークルが活用出来る。

 

What 何を

How どうやって

Why なぜ

 

ではなく、その逆順。

何をから入ると失敗する。

いつの間にか、手段が目標になってしまう。

 

なぜ働くのか、

どうやって働くのか、

何をするのか。

 

この順番で自分自身にしっかりと問いかけるんだ。感情は押し殺す必要はない。

 

自分と対話する。

目に見えないものこそ大切なんだ。

 

それは例えば感情。

感情をドリブンさせる術を身につけ、

輝く未来を手に入れよう。

Sing Street

劇中で使われている曲がいい。

 

主人公たちが目当ての女の子を口説く為に、

MVの撮影に誘い、慌ててバンドを組む。

 

この映画に出てくる曲はほとんどが、主人公たちが作る。

 

思春期の葛藤や情熱が、そのままパッキングされたかのような曲たちは、

映画ながらどこかリアルで込み上げるものがある。

 

この映画のサウンドトラックは、

バンド”Sing Street ”のオリジナルアルバムかのようだ。

 

その中でも『Up』が一番好きだ。

 

こんな歌詞。

 

“Going up”

“最高だよ”

“She lights me up”

“君のおかげだ”

“She breaks me up”

“君のせいで傷つくこともあるけど”

“She lifts me up”

“君は僕をどこまでも連れてってくれる”

 

年上の彼女へ恋する少年の想いが詰まってる。

誰かに憧れることの切なさがメロディに乗って、

ストレートに伝わってくる。

 

 

主人公は兄貴から数々のアドバイスをもらう。


兄貴は言う、

誰かを口説くための歌なら、

真似事じゃなくて、オリジナル曲を作れ、と。


要は、想いを伝えるには形より何より、

自分の歌じゃないと意味がない、

と言うことだろう。

これは色々なことに当て嵌まる。


兄貴のセリフはほとんどが名言だ。

弟想いで、一言一句見逃せない。

 

 


僕にも2つ上の兄がいる。

 

いるが、仲は良くない。

ほとんどの価値観が合わない。

だからよく喧嘩して来た。

 

でも、

音楽だけは兄から多大な影響を受けた。

RadioheadOasisThe Libertines、Daft Pank、、、、

僕が今でも変わらずに好きなバンドは殆ど兄のCDラックで出会った。


中学、高校時代はこっそり借りてMDに録音し、聴きまくってた。

 

兄のCDラックが無ければ、

トム・ヨークの作った曲に救われたり、

こうしてツイッターで語りあったり出来なかったかもしれない。

 

それだけでも兄弟として生まれて良かったかな、と思う。


この年にして、やっと、ようやくそう思えるようになった。

 

 

 

話を映画に戻そう。

 

この映画はラブストーリーだ。

主人公の彼女への想いが描かれている。

 

でも、やっぱり、1番は兄弟愛だ。

 

兄は弟に思いを託す。

 

この映画を観て、強烈に思った。

“思いを託す”という行為は、素晴らしい。

見ていて気持ちいい。

だって、それは信頼関係の上にしか成り立たない。

 

その上で、自分が実現できなかった夢、

諦めきれなかった夢の続きを、任せるんだ。

 

その思いは、本当に素晴らしく、清々しい。

 

Joker - Joaquin Rafael Phoenix

ジョーカーを観た。


これほどメッセージ性の強い映画は観たことない。


ホアキン・フェニックス扮するジョーカー。


その成り立ちの物語。

ジョーカーが生まれる瞬間を僕らは目の当たりにする。

 

そもそもジョーカーとは何者なのか。


ダークナイトを観たことある人なら、

ジョーカーの狂気を知っているだろう。

 

彼は、人の心の黒い部分を増幅させる。

0から10では無い、1から10だ。

 

 

この映画を見終わった後、強烈な感情に邂逅する。

 

この世に完全な善人などいないと思う。

人は少なからず”悪”を持つ。

それは欲であったり、妬みであったり、恨みであったりする。

 

ジョーカーの場合、生まれつき悪人というわけではない。

 

必死で生きようとする中で多くの人に虐げられ、不幸の連続の中で、

行き場の無い負の気持ちが溢れ出し、

悪が生まれ、それが増幅していく。

 


悲劇だ。彼は喜劇と言うが、どうしようもない悲劇だ。

 


そしてそれは、僕らの写し鏡だ。

僕らも意図せず人を傷つけてしまうことがある。

 

その影響で誰かの心を折ってしまうことだってあるかもしれない。

 

僕らも人から傷つけられることがある。

 

その影響で全てがどうでもよくなってしまうことだってある。

 

そういうことなんだと思う。

そういう”畏れ”があるということ。

 

その”畏れ”とどう付き合っていくか、

それに、どう立ち向かうか。

 

僕らはジョーカーを完全に否定出来ない。

 

でも悪い奴だ。

だから居なくなってほしい。

 

でも僕らの心のどこか隅っこの方に

彼への同情を促すモヤモヤとしたものがある。

それは誰しも否定出来ないはずだ。

 

この映画で、

僕らはジョーカーの生まれた瞬間に立ち会うことになる。

 

その瞬間、今まで味わったことのない感情が押し寄せる。

 

その感情を味わうのは初めてだ。言葉で表現出来ない。

 

僕らは必死で涙を堪えるしかない。