誰かのためのブログ

読んでくれるあなたのために、一生懸命書きます。

友人代表スピーチ

僕は約11年前、

結婚式での友人代表のスピーチをした。


後にも先にも1回きりだと思う。

まあ、人生で1回やれば十分かな。


今日はそのスピーチの内容を記したいと思う。


なぜブログに載せるのか、よく分からないが、

何気に僕にとっては重要なイベントだったから、残しておきたい。

 

 

 


新郎の松本くん、新婦の愛子さん

並びにご両家の皆様、本日は誠におめでとうございます。


また、このようなおめでたい席にお招きいただき、

大変うれしく思っております。


新郎の松本くんとは、大学生活の6年間を共に過ごした仲になります。


親しき仲にも礼儀あり、というコンセプトのもと、

手紙を書かせて頂きましたので、読ませていただきたいと思います。

 


-------ここから手紙-----------


改めまして、ご結婚おめでとうございます。


松本くん、あなたとは

学生時代、ともに様々なところを旅しました。


あなたは覚えているでしょうか。


タイでは、初日にトムヤンクンのにおいにノックアウトされ、

ラン島へ向かうため、チャーターしたワゴン車の中で、

猿岩石の「白い雲のように」を熱唱しました。


私は、このままどこまでもこんな日々が続けばいいのに、と本気で思いました。


台湾では、自分たちで寝床を確保しながら旅をしました。

いやにサービスがよかったレストランではがっつりとぼったくられ、世間の厳しさを知りました。

あのとき始めて飲んだタピオカジュースの味はいまでも忘れられません。


トイレに紙を流してはいけないということを知らず、

私が詰まらせかけたトイレを次に入ったあなたが溢れさせてしまいました。

必死で便器と格闘するあなたの後ろで、私たちは爆笑してしまいました。


私は、それらの出来事を通して絆が深まったことを感じました。


グアムでは、初日の強烈な日焼けに悩まされながら、ナマコだらけの海で泳ぎました。

みんなで見たあの夕焼けは、とてもきれいでした。


北海道では、一日4食もラーメンを食べました。

あの凍える冬空の下で食べたラーメンの味は格別でした。


大学の時、

家のコタツで鍋をつつきながら、夜明けまでゲームをしました。

あのときの暴飲暴食により付いた脂肪は、いまだ取れずに残っています。


そして、新婦の愛子さん、

私が6年間を通じて感じた松本くんという人間を紹介します。


驚くほどシンプルな部屋に住み、余分な物を持たない松本くんは、

自分の大切にすべきものが何なのか自分の中ではっきりしています。

きっと、愛子さんのことも大切にしてくれるはずです。


弱音もはかず、何事にもコツコツと取り組む松本くんは、

きっと、いつも変わらない姿勢で愛子さんを包んでくれると思います。


余談ではありますが、

バイト先のマクドナルドの帽子もとてもよく似合っていました。

機会があれば、もう一度帽子をかぶせてあげてみてください。

 

数ヶ月前、3人で飲んだとき、

二人の幸せそうな表情や、やりとりを見ていて、

深い絆で結ばれているのを感じました。


末永く、幸せな二人でいることを心より願っています。


友人代表 System414より


-------手紙はここまで-----------


長くなってしまいましたが、

これをもちまして、私からのお祝いの言葉とさせていただきます。


ご清聴、ありがとうございました。


本日は、本当におめでとうございます。

 

 

 

 


とまあ、こんな感じのスピーチをした。


今読むとかなり拙いスピーチだけど、

友人の思い出のパーツとして存在してくれてたら、

いいな、と思う。

 

"僕たちはどう生きるか"

その答えのひとつとして、誰かの思い出の一部になる

というのもいいかな、と思う。


当日は豪勢な料理も喉を通らず、

緊張しっ放しだったけど、

こんな機会をくれて、ありがとう、

と今は言いたい。

 

それは僕の思い出の中の大切なパーツ。

 

 

 

Bob Dylan - Don’t Think Twice, It’s All Right - くよくよするのは止めよう

電車が人身事故で止まったので、

タリーズに駆け込んで、アメリカンを注文した。


肌寒くなってきたので、ホットが心地いい。


コーヒーをブラックで飲めるようになったのは、

10年ほど前。

仕事が忙しすぎた時に缶コーヒーを飲むしかなかった僕は、

少しでも体のこと考えてブラックを体内に流し込んで、激務に耐えていた。

 

缶コーヒーよりもインスタント、

インスタントよりもドリップ、

でも、挽きたてがやっぱ1番美味しいね。

 

 

 

今日は、

Bob Dylan のDon’t Think Twice, It’s All Right について。

 

この歌のタイトルは、僕のブログのURLを構成している。

 

ネガティブな僕にとって、

過ぎてしまった過去のこと、もう考えてもしょうがないこと、

それらに囚われることを止めにして、

きちんと『さよなら』をして、

考えるべき今や未来のことに集中させるかは、常に人生の課題だ。

 

これが難しい。

 

その戒めとして、この歌がある。

 

歌詞は、


You’re the reason I’m a travling on

But don’t think twice, it’s all right

旅をするのは君が原因さ

でも、くよくよしなくていいよ、これで良かったのさ

 

こんな感じで、彼女に別れを告げ、

旅に出る男の話だ。


本当は僕らも何かあった時にその場から去ることが出来たら、

それが一番だと思う。

 

でもいろんなしがらみから、

その場に残ることしか選択出来ない場合が大半だ。

 

環境が変わらないのであれば、

自分の気持ちの中で整理をつけるしかない。

 

自分で耐性をつけて、強くなるしかない。

その作業は凄く難しい。エネルギーがいる。

 

それはある意味で自分の弱点を認めることであったり、

自分がいる場所の悪いところを受け入れることであったりするからだ。

 

それはあたかも今までの自分の選択を否定するかのようだ。

でも実はそうじゃない。

それは誰にでも起こることだから。


そんな時、力になってくれるのが、

音楽であったり、映画であったり、本であったりする。

ツイッターもイイね。

フェイスブックやインスタグラムは、

なんか自慢に溢れてる感じでイマイチかな。

 

それらの良いところは、

心の向き先を変えてくれたり、

エネルギーをくれるところだ。

 

何よりも嫌なことに囚われている時間を、

少しでも減らすことが出来る。

 

そうやって一個一個と向き合って、

過去のことにして、前に進んでいくしかないよね。

 

最後に、

考えてもしょうがないことは考えてもしょうがない。

それよりも考えるべきことは沢山ある。

だから、有意義なことに時間を費やそう。

君も僕も。

 

じゃあ今から満員電車に乗り込みます。

Radiohead - Amnesiac - 天国と地獄

兎にも角にも、

このアルバムの冒頭2曲が好きだ。

 

まず、
『Packt Like Sardines In A Crushd Tin Box』


直訳すると、

『潰された缶に詰め込まれたイワシのようなもの』


After years of waiting

何年も待ったけど

 

Nothing came

何もやって来なかった


As your life flashed before your eyes

人生が目の前で閃光のように通り過ぎて


You realize

君は気付くんだ


Looking in the wrong place

違った場所を探してたんだって

 

 

この歌詞の通り、このアルバムは絶望から始まる。

絶望的な歌詞に、ダンサンブルな曲調。

頭の中とは裏腹に身体が自然とステップを踏んでしまう。

なんだかそれはまるで操り人形のようだ。

 


つぎの曲は、『Pyramid Song』


All my past and futures

全ての過去と未来がそこにはあって

 

And we all went to heaven in a little row boat

そして僕らは小さな舟に乗って天国へと向かったんだ

 

There was nothing to fear and nothing to doubt

そこには恐れるものも疑うものもなかったんだ

 

 

1曲目の『Packt Like Sardines In A Crushd Tin Box』とは正反対だ。


1曲目で絶望を歌ったと思ったら、

2曲目ではゆったりとしたあまりにも美しい、心穏やかな情景、が表現されている。


全てを悟り、全てを受け入れ、行くべき場所へ、進んで行ける、理想的な状態だ。


僕の解釈では、この2つの曲で、

”地獄”=”違った場所”

”天国”=”正しい場所”

が表現されていると思う。

 

 

このアルバムのタイトルは、

『Amnesiac アムニージアック』

日本語で『記憶喪失者』だ。


“地獄”は、今僕たちが置かれた現実のことではないだろうか。


世界には環境問題や戦争を始め、

様々な本当に地獄のようなことが多く起きていて、

 

それらが起きてはいけない事だと認識しつつも、

それを解決する”意志”は、もはや僕らの中には存在していないんじゃないか、


その状態は僕らのあるべき姿から大分外れてしまっていて、

何処の海岸に打ち上げられた潰れたイワシ缶のような状態であって、

人で例えるのならば、それはまさに『記憶喪失者』とも見えてしまう、

そういう定義ではないだろうか。

 


一方で、”天国”は、

僕らが目指すべき場所なのだろう。

 


そうこのアルバムは語りかけてくる。

そのことを伝えるためにこのアルバムは作られた、と僕はそう思っている。

 

こんな恐れるものや疑うものに溢れた世界は、僕らがいるべき場所じゃない。

 

それらから解放された目指すべき場所がある。

 

 

それは、別の意味で、

一度、今までの”記憶”をリセットして、

改めて現実と向き合ってみよう。

そうしたら、いつか辿り着けるよ。

 

というトム・ヨークからの

希望のメッセージとして、捉えても良いのではないかな。

Radiohead - Karma police - 因果応報

沖縄での旅行中に、ふと思った。


沖縄以外の人で、沖縄の基地の問題を訴え続けている人をあまり見たことがない。

もしかしたら僕の勉強不足かもしれないけど、

他の場所に住む人にとってはみんな他人事だ。


ただあの綺麗な海を壊してまでやる価値のあることなんてないし、

そもそも戦争をしない日本に米軍は要らない。

僕はただ純粋にそう思う。

原発も同じだと思う。

 


真夜中にホテルのベッドでそんな思いになった。


音楽で世界は平和に出来るか、僕の興味は今そこにある。


レディオヘッド平和』で検索してみた。


2017年、イスラエルでのRadioheadのライブの記事が出てきた。


その時、イスラエルの人権侵害で文化的ボイコットが国際的に起きており、

Radioheadにもライブのボイコットを求める訴えが届いていた。


だけど、結果としてレディオヘッドはライブを強行した。


その時、トム・ヨークが発した言葉を引用してみる。


『ある国で演奏するからといって、その国の政策を支持しているということにはなりません。


音楽、アート、そして教育は、境界を越えるためのものです。境界を作るためのものではありません。


偏見をなくすためのものであって、偏見を生むためのものではありません。


そして相手を思い合い、対話し、表現の自由を実現するためのものなのです』

 


さすがトム・ヨーク


境界を越える、

偏見をなくす、

表現の自由を実現する、


彼の音楽に対する姿勢は、やはり平和へと向いている。


対立構造は何も生まない、

同じ土俵に立ってしまってはいけない、


でもそれは無関心というわけではない。

情勢を知った上でのことだ。


そう教わった気がした。

 

 

その時のセットリストがこちら。


Daydreaming

Lucky

Ful Stop

Airbag

15 Step

Myxomatosis

All I Need

Pyramid Song

Everything in Its Right Place

Let Down

Bloom

Identikit

Weird Fishes/Arpeggi

The Numbers

2 + 2 = 5

Bodysnatchers

Idioteque


Encore:

No Surprises

Nude

Like Spinning Plates

Lotus Flower

Paranoid Android

Reckoner


Encore 2:

Creep

The Bends

There There

Karma Police

 


セットリストを見ただけで興奮してしまう。


これらの楽曲には、

きっと、僕がまだ認識出来ていないメッセージやイマジネーションが沢山詰まってるに違いない。

 

 

例えば、Karma Policeにはこんな一節がある。


『This is what you'll get

   これはあんたらがやったことの代償だ

  When you mess with us

   あんたらが俺たちを混乱に陥れただろ』


この曲をアンコールの最後に歌ったのは偶然ではなく、

トム・ヨークからのメッセージではないかと思う。


悪いことをすると悪いことが返ってくる。

カーマポリスが罰してくれる。


因果応報、英語で言うとkarmic backlashだ。


音楽を通してトム・ヨークはしっかりと向き合ってる。

僕は音楽は作らないけど、諸問題に対する姿勢は彼に習おうと思う。

Radiohead - Let Down - いつか辿り着ける

移動中にLet Downを聴くのが好きだ。

この曲はトム・ヨークが移動にうんざりして作った曲らしい。

そんなに移動する事のない僕は、
この曲を聴きながら移動するのが心地いい。

今は久しぶりに沖縄に向かう飛行機の中。
訳あって韓国にもよく行く。

日本は島国なので外国へ行く時は飛行機か船で海を渡るしかない。

トム・ヨークの住むイギリスも同じだ。

飛行機は閉ざされた空間で狭くて、
自由に外へ出ることもできないから、窮屈だ。

トイレは狭くて、水は濁ってる。
手がすぐカサカサする。

機内食はそんなに美味しくないし、
客室乗務員を呼ばなければ何も出来ないところもなかなか苦痛だったりする。

天候が荒れてる時には席に座ってないといけない。
すごく揺れる時は、ホントに墜落するんじゃないかと思う。

ああ、無事に着いて良かったと、胸を撫で下ろしたことも数回ある。

しかも大幅に遅れる。

文句をたくさん書いてしまったけど、
そんなことをトム・ヨークも感じてたんじゃないかな、と思う。

ツアーなんか移動の連続だろう。
そんな中でモチベーションを保ちつつ、
最高のパフォーマンスを見せるのはすごく大変なことだと思う。

じゃあ、僕が乗る必要のない飛行機になんで乗るのかって言うと、
いろんなところを見て回りたいから。

日本じゃ見れない美しい景色が世界中にある。
信じられないほど広大な世界が広がってる。

世の中には見なくていいものも沢山あるけど、
見るべきものも沢山ある。

なるべく本物を見た方がいい。
レプリカよりも本物だ。


テレビで『脳みその外』という言葉を耳にした。

それは脳みその中では整理しきれない、
言葉に出来ないけど、
感じ取れる何かがある、
と、そういうことではないかと理解している。

つまり、僕らが移動をするのは、
自分の脳みその外を見つけに行くためではないだろうか。

それは、気分転換やリフレッシュだったり、
自分探しや放浪だったり、いろんな言葉に置き換えられて、
自分では抱えきれなくなった問題に対峙し、
困惑した僕たち自身を支える大切な要素になってる。


Let Downの歌詞には、こんな文がある。

『You know where you are with
自分の居場所は分かってるだろ

You know where you are with
自分の居場所は分かってるだろ

Floor collapses
崩壊する床

Floating
漂いながら

Bouncing back and one day
立ち直り、そしていつの日か

I am gonna grow wings
僕は羽を生やすんだ 』


凄くいい歌詞。

移動=憂鬱な状態

と考えることができる。

トム・ヨークや僕にとってもそう。
移動はただの無駄な憂鬱な時間だったりする。

でも、この歌詞は実は単なる移動が苦痛って話ではなくて、

日常に起こり得る色々な憂鬱なことも、

いつかは自分の羽で飛び越えて、

目的の場所に辿り着けるって、

そういう希望がある歌なんだと思う。

いつか終わるんだったら、我慢出来る。

そうやって羽を生やして飛んでいけるように、

臆することなく、歩いて行こう。

Radiohead - No Surprises - 心の平穏と代弁

9年前、この曲が結婚式の入場曲だった。

歌詞を読んだら分かるけど、
歌詞で選んだわけじゃない。

曲だ。
曲がお気に入り、ただそれだけだった。

今考えるともっと良い選曲があったのでは、
とも思うが、結局満足している。

それは、歌詞を知った今でも好きな曲であることに変わりなく、
恐らくこれからもずっとそうあり続けるからだ。

『No alarms and no surprises
Silent, silent』

この歌詞の通り、この曲を聴く時は、
警戒心も驚きもなく、ただ心の平穏だけがある。

少なくとも僕はそういう気持ちにさせられる。
だからお気に入りなんだと思う。

2016年のSummer Sonicでも中盤に歌ってくれた。
暗くなった真夏の野外で聴くとまたそれはそれで格別だった。


そして、この曲についてもう一つ触れたいことがある。

この曲はバスの中でトムが2時間で書き上げた曲で、民主主義国家への嘆きを歌っている。

それは途中の歌詞、

『You look so tired, unhappy
Bring down the government
They don’t, they don’t speak for us』

和訳すると、こんな感じだろう。

『君はとても疲れてるようだ、幸せそうじゃない
政府を引きずり降ろそう
彼らは、彼らは決して私たちの代弁をしてくれないよ』

今の日本、いろんなところから同じような声が聞こえてくる。

トム・ヨークがそれを代弁してくれる。

この曲は今の日本にもぴったりだと思う。


震災や台風などで壮絶な経験をした人は
沢山いると思う。

腹の足しにはならないけど、
心は穏やかになると思う。

少なくとも僕はそう信じてる。

真っ暗闇の中、ヘッドホン付けて、
ベッドに横たわって、
是非この曲を聴いてみてほしい。

心の中の深く深くに届くと思う。
そこから、また始めよう。

Oasis - Don’t Look Back In Anger - 音楽はタイムカプセル

中学2年生の僕は、放送委員に立候補した。

理由は2つ。
1番楽な委員会であることと、昼休みに好きな曲をかけることが出来るからだ。

自分の好きな曲を全校生徒が聴く、そんな素晴らしい権利があった。

年頃の僕らは兄などの影響で、洋楽にも手を出し始める。

英語なんか全然分からないのに、ただの格好良さだけで音楽を聞いた。

特に記憶に焼き付いているのはOasis

Don’t Look Back In Anger』とはその頃からの付き合いだ。

曲名の意味を辞書で調べた。

『怒りで振り返るな』
なんだかよく分からない。
怒るのは良くないってことだろうか。

まあ、なんかカッコイイし、
ただそれだけでイイ。

大学生の頃、Oasisのライブをビデオテープで観た。
Don’t Look Back In Angerが流れた。

ノエルが歌う。

この曲は良い曲だから作った兄貴が自ら歌うらしい。
弟に歌わせるのはもったいない、ということだろうか。

突然、曲が止む。

『So Sally can wait,
she knows its too late
As were walking on by
Her soul slides away,
but don't look back in anger
I heard you say』

観客皆んなで大合唱だ。鳥肌が立つ。

男の人や女の人、様々な人の声が混じった歌声は、
正直言ってノエルが歌うより良いんじゃないかとさえ思った。

誰も何も言わなくとも、
この曲は皆んなから愛されてるんだと分かった。

そのビデオテープは繰り返し繰り返し観た。
友達にも無理矢理見せた。



そして2017年、マンチェスターでテロが起きた。

犠牲者を追悼する集会でもこの曲が歌われた。

この曲は皆んなの支えなんだと分かった。

歌詞も曲もピッタリだと思った。

この日のために作られた曲なのではないかと、そう感じざるを得なかった。


音楽は人と人を繋ぐ。

同じ歌を皆んなで歌うと、文字通り同調する。
1つになれる。

そして、記憶に残って人を支える。

その曲を聴くと脳みそがタイムスリップして、
その瞬間の感情が蘇る。

音楽は僕らにとってのタイムカプセルだ。
良い曲のある時代に生まれて良かった。

宮本から君へ

不器用な男の物語だ。

 

頑固で、真っ直ぐ、全力。

 

そのくせ、すぐ落ち込む。

 

その繰り返しだ。

 

上司や友に助けられながら、

 

競合他社のやな奴との闘い、


自分の大切な人を傷付けた奴との闘い、


結局のところ、それは、自分の気持ちとの闘い。


宮本は日々、闘っている。

 

その姿勢に僕も背筋を伸ばす。

 

 

宮本は大切なことを思い出させてくれる。

 

それは納得できない事への向き合い方。

 

そこには自分も他人も関係ない、

 

間違ってることを間違ってるといって何が悪い!

 

自分が納得するまで、とことんやるんだ。

 

自分が納得出来なければ、それは嘘をついているということだ。

 

そう、宮本が叫んでくれる。

 

僕の気持ちをのせて、宮本は闘ってくれる。

 

 

 

めちゃくちゃだけど、

 

僕らビジネスパーソンのヒーローだ。

Thom Yorke - Daydreaming - 人生の半分

『half of my life』

 

RadioheadのDaydreamingの最後に逆再生でトムヨークが呟く言葉だ。

 

この歌をリリースしたとき、

トムヨークは47歳、

その約7ヶ月後、長年連れ添った女性との別れを経験する。

 

DaydreamingのMVの中で、

 

彼は異なるドアを次から次へと開け、

何かを探し求めるように歩き続ける。

 

ストーリー性のない場面場面の断片的な切り替わりは、

まさに夢の中にいるかのようだ。

 

彼が探しているものは何なのだろうか。

 

建物の中、街中、海岸、家の中、

ただ彼はひたすらに歩く。

 

覚悟を決めたかのような表情、

夢と現実の狭間にいるかのような、

とても不思議な感覚になる。

 

何かを探しているのだけど、

何を探しているのか分からない。

 

ただ、あてもなく歩き続ける。

 

この感覚は、僕らの日常でも感じられるものと同じだ。

 

何かしたいけど、何をしたいのか分からない。

何か欲しいけど、何を欲しいのか分からない。

何か不安だけど、何が不安なのか分からない。

 

そうやって、彼も心を擦り減らしながら、

生きてきたのではないだろうか。

 

とてつもなく嫌なことや絶望的なこと、

世の中には掃いて捨てるほど渦巻いている。

 

そんな中でも懸命に自分を保つ。

 

その過程で生まれた感情、それを

彼は歌にのせて僕らに届けた。

 

最後に雪山の洞窟の中に這いつくばって辿り着く。

炎の横で横たわり、安らかな表情で、

あの言葉を呟く。

 

 

この曲がリリースされて3年間、

この曲をずっと聴いてきた。

 

僕が若かったら見向きもしなかった曲だ。

 

この曲はあまりにも美しすぎて、

あまりにも大人しい。

 

聴き続けて、ようやく分かった事がある。

 

half of my lifeが逆再生になっていた理由は、

 

戻りたい、

 

という思いではないだろうか。

 

人生の半分を終えた彼が、

残りの人生の半分をどうやって生きていくか。

 

出来れば、終えた半分をもう一度辿りたい。

あの愛がもう一度欲しい。

だけど、戻ることはできない。

 

だったら、過去の思い出と共に安らかに生きていこう。

 

そう決意した曲なのだろう。

 

トムヨークは人生を悟ってしまった、

 

そう僕は感じた。

 

これから生み出される曲は、

より一層深みを増し、

僕らの心の奥底に語りかけてくる筈だ。

 

『True Love Waits』

その時、本物の愛に触れる。

Imagine - 僕らは薄着で笑っちゃう

ジョンレノンが歌ってる。

 

『Imagine there's no countries

   It isn't hard to do

   Nothing to kill or die for

   And no religion too

   Imagine all the people

   Living life in peace・・・

   』

 

けど、

そんな平和な世界は、実現しないかもしれない。

歳を重ねるごとに、その思いは強くなってきてしまった。

 

こうしてる間にも、宗教の違いなど、さまざまな理由で、

戦争やテロなどの殺戮は繰り返されている。

 

それが現実。

 

なぜか、

なぜ世界から戦争は無くならないのか、

宗教が悪いのか、国が悪いのか、金が悪いのか、欲が悪いのか、

同じ人間が何で憎しみ合い、敵対するのか。

 

ジョンレノンが歌っていたのは、

余計なもの全部取っ払って、

みんなが同じになって、願えば叶う、

ということだと思う。

 

しかし現実は、その”同じになる”、

ということがものすごく難しい。

 

けれど、ジョンレノンは

それが実現できるとしたら、

それは想像することから始まると、

そう、信じていたに違いない。

 

みんなで想像して、

みんなで同じになろう、と。

 

頭の中であれば、人はなりたいものになれる、やりたいことがやれる。

 

そこに希望があるはずだと、

そう願いを込めた歌なんだと思う。

 

 

忌野清志郎さんのイマジンは面白い。

 

『天国はない ただ空があるだけ

   国境もない ただ地球があるだけ

   みんながそう思えば

   簡単なことさ

 


   社会主義も 資本主義も

   偉い人も 貧しい人も

   みんなが同じならば

   簡単なことさ

 


   誰かを憎んでも 派閥を作っても

   頭の上には ただ空があるだけ

   みんながそう思うさ

   簡単なこと言う

 


   夢かもしれない

   でもその夢を見てるのは

   君ひとりじゃない

   夢かもしれない

   でも一人じゃない

(ぼくらは薄着で笑っちゃう)

   夢かもしれない(ああ笑っちゃう) 

   かもしれない

(僕らは薄着で笑っちゃう)

(ああ笑っちゃう)

(僕らは薄着で笑っちゃう)

   』

 

凄く素晴らしい歌詞。

 

全体を通して見ると、ジョンレノンの歌詞を身近な言葉で置き換えている。

 

でも、特筆すべきは、

“僕らは薄着で笑っちゃう”という表現だろう。

 

彼はインタビューで特に意味はない、と語っているらしいが、

僕は敢えてこの言葉に意味を持たせたい。

 

たとえば、

薄着=無防備

と想像できる。

 

警戒せずに、武器持たずに、肩組んで、

笑っちゃおう。

 

たとえば、

薄着=穏やかな陽気

と捉えられなくもない。

 

穏やかな陽だまりの中で、幸せを感じながら、好きな人と笑おう。

 

彼なりの『幸福感』を表現しているのだと思う。

 

卵が先か、鶏が先か、

笑うから幸せなのか、幸せだから笑うのか。

 

幸せが幸せを呼び、

誰かの幸せが、また誰かの幸せをつくる。

 

その連鎖が、平和をもたらす。

おそらくそんな感覚ではないかと、想像する。

 

改めて考えてみると、幸せの定義は、

人それぞれ違うことに気付かされる。

 

ある人は朝起きて、美味しいコーヒーを飲んでいる時かもしれない。

 

ある人は好きなアーティストのライブで踊っている時かもしれない。

 

ある人は好きなお笑いを見て腹抱えて笑ってるときかもしれない。

 

ある人は映画館でポップコーンを食べている時かもしれない。

 

ある人は1日の終わりに風呂やサウナで、

リラックスしている時かもしれない。

 

そんな自分にとっての幸せを想像する時、

人は幸せな気持ちになる。

 

もしかしたら、ジョンレノンや忌野清志郎が言いたかったのはそういうことなのかもしれない。

 

 

想像する時、人は幸せになる。

 


想像する力は、他の動物にはない能力と聞いたこともある。

 

想像できることは、全て実現できると聞いたこともある。

 

 

戦争をなくして、平和な世の中にする。

平和を広めて、戦争を無くす。

 


そんなの無理だよ。やっぱりNOだ。

 


いい大人なら誰しもがそう思うと思うのだけど、

やっぱり僕は、人の可能性を信じたい。

 

それは音楽の可能性でもある。

 

ジョンレノンが残したImagine、

忌野清志郎が残したイマジン、

そこに自分なりのイマジンを創造してみよう。

 


そうしたらきっと答えはYESに近づくかもしれない。

原晋監督 - 人間の能力に差はない

青山学院大学の原晋監督の講演を聴いた。

 

大学を卒業したOBでも無ければ、

箱根駅伝への出走経験も無い、

 

そんな彼が2004年に監督に就任した。

 

前代未聞だ。

 

しかし、結果を出す。

 

5年後2009年に箱根駅伝出場を果たし、

10年後2015年に念願の総合優勝を果たす。

その後2016,2017,2018を経て4連覇を達成。

 

今や押しも押されもせぬ強豪へと成長させた圧巻の手腕だ。

 

 

 

そんな彼の発した言葉で一番印象深いのは、

 

『人間の能力は皆同じ、違うのは熱意』

 

という言葉だ。

 

 

僕の解釈では、以下のようになる。

 

「人間の能力に差が無いわけじゃない。

だけれども、

熱意を持って取り組んだ結果としてもたらされる成果というものは、

能力の差よりも大きなものとなる。

だから、熱意を持って取り組んだ者が勝つ」

 

ウサギとカメでは無い、人間と人間の話だ。

 

この言葉は、考えれば考えるほど、

人にモチベーションを与える。

 

小さなことに一喜一憂して、

クヨクヨしてる場合じゃない、

と背中を押してくれる。

 

勝敗は日々の積み重ねで決まる。

 

スポーツでは日々の生活を規則正しくし、

よく練習し、よく食べ、よく寝ることがとても大切という。

 

遊びたい時に遊ばず、

モチベーションを保って1つの目標へ向かって足並みを揃える。

 

想像するよりも100倍難しいことだと思う。

 


駅伝チームも組織だ。

組織のモチベーションを維持するのは自主性だ。

その自主性をメンバーが互いに補完し合う組織、それが実現されたのだと思う。

 

この組織作りはどんな組織にも通ずることだと思う。

 

放任主義を自主性だと言う間違った人もいる。

そうじゃない。

 

やればできるって教えてあげるんだ。

体験させてあげるんだ。

 

 

言い換えれば、少し古いけど、

この言葉かな。

 

『為せば成る、為さねば成らぬ何事も、

成らぬは人の為さぬなりけり』

 

どんなことでも強い意志を持って行えば、

必ず成就する。

 

Life Is Beautiful

この映画を観たのは、大学生の頃。

暇を持て余していた。

 

松っちゃんのシネマ坊主の第一回目で紹介され、満点の星5つを獲得していたので、

TSUTAYAで借りて観ることにした。

 

 

 

ロベルトベニーニ演じるグイドは、

理想の父親だと思った。

 

ユーモアいっぱいで、優しい父親。

幸せな家庭を築く上で必要な素質が揃っている。

 

ただ1つ、ユダヤ人ということ。

それによって、絶望的な運命を辿ってしまう。

 

誰かの幸せが自分の幸せだ、という人がいる。グイドはそれの代表だ。

 

でも、命まで掛けられるか!?

 

と、そう思って見ていた。

 

 

 

それから時を経て、2年前。

僕にも子供が生まれ、父になった。

ジョズエと同じ男の子。

 

日に10回以上、『かわいい』と口に出して言ってしまうくらいの親バカだ。

 

日に日に可愛さが増す。

その反動で、考え事も増える。

 

僕はこの子にとって良い父親だろうか。

可能性を潰していないだろうか、

出来る限りのことが出来ているだろうか。

仕事を言い訳にしていないだろうか。

 


 

そして、今日、ふと、グイドを思い出した。

 

グイドと比べて自分はどうだろうか。

 

絶望の淵に立たされた時、息子を救うことが出来るだろうか。

 

 

ただ救うだけじゃない、ハッピーに救うんだ。

絶望の淵で笑って、絶望感をゼロにして、

人生最大の危機に臨む。

そして、ヒーローのように華麗に去る。

 


口だけじゃない、行動で示す親の子への愛。

 


 グイドのその時の気持ちを想像してみる。

 

 

当時は分からなかった気持ちが、

今なら分かる気がする。

 

 

 

ヒミズ

この漫画を読んだ時、

本当に救いのない話が凝縮されていて、

本当に生きてくのって辛いな、と思った。

 

その反面、この主人公住田に比べると、

自分はまだまだ不幸ではない、

むしろ完全に幸せである、

と訴えかけられた気がした。

 

この漫画を読んだ後で、僕は変わってしまった。

 

 

自分にとって嫌なことやきついことがあった時、

自分の不幸加減を客観視して、住田と比べて、

自分はまだまだ幸せものである、と

自分自身を慰めるようになった。

 


自分がバランスを取るための唯一の方法だ。

それは普通ではないかもしれない。

 

しかし、僕のようなクヨクヨといつまでも過ぎたことを考え続けてしまう人間は、

寝て起きたら気持ちがリセットされるわけではない。

 

だから、そうやってケリをつけないと、

気持ちが落ち着かない。

ずっと沈んだままになってしまう。

 

 

この漫画は、4巻という少ない本で、

強烈な衝撃を僕に与えた。

 

世の中に理不尽なことや不条理は沢山ある。

それを変えることは出来ない。

むしろそれらが、次から次へとのしかかってきて、僕らの心の中心を暗く暗くしてしまう。

思い通りに行くことなんてほとんどない。

 

だったら、僕らはそれらとうまく付き合うしかない。

自分の芯を強く持って立ち向かうしかない。

自分の信念を貫くしかない。

そうやって、割り切って生きるしかない。

 

住田はあんな結末を選んだ。

 


これは、作者である古谷実が、

不幸の底辺を定義してくれたのだと思っている。

 

僕らが生きていく上での不幸の基準。

この不幸より不幸なんてないだろう、と。

 

そういう意味でこの『ヒミズ』は、

絶望を描き、希望を浮かび上がらせてくれる。

 

世の中、捨てたもんじゃないよ。

米津玄師 - 歌の居場所

矢沢永吉が、

『もう今ね日本さもうガキばっかりの音楽だから大人の音楽そろそろ出さなきゃまずいんだよ』


と言った。


たしかに、と頷ける。

 

 

一部のアーティストを除き、

ストレートすぎる歌詞、語彙力や哀愁というものが、時代の流れで淘汰されてしまったかのような音楽が、日本の音楽界を席巻している。


仲間、感謝、絆、、


素人の僕でも思いつきそうな歌詞。

 

 

僕は思う。


シンプルなストレートのロックは、

ブルーハーツが演ったからもういいよ。


そうじゃなくて、プロのアーティストだったら、

誰も思い付かないような歌詞を披露してほしい。


あくまでも歌詞だ。

歌詞単体が芸術であってほしい。


鳥肌が立つような、

心が揺さぶられるような、

そんな歌詞を期待している。

 

 

僕が小さい頃の歌。


美空ひばり愛燦燦 1986年

『愛 燦燦と この身に降って

心秘そかな嬉し涙を 流したりして

人はかわいい かわいいものですね

ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う

人生って 不思議なものですね』

 

 

ASKA はじまりはいつも雨 1991年

『君の名前は優しさくらいよくあるけれど

呼べば素敵なとても素敵な名前と気づいた

僕は上手に君を愛してるかい愛せてるかい

誰よりも誰よりも

今夜君のこと誘うから空を見てた

はじまりはいつも雨 星をよけて』


テイストは異なるがどちらも深い、

とても好きな歌詞だ。

 

 

最近の曲でもないわけではない。


米津玄師 パプリカ

『雨に燻り月は陰り木陰で泣いてたのは誰

一人一人 慰めるように誰かが呼んでいる

喜びを数えたら あなたでいっぱい

帰り道を照らしたのは思い出のかげぼうし』


子ども向けの歌だが、言葉の1つ1つが、大切に選択されているのが伝わってくる。


難しい言葉を使う必要はない。

言葉が連なってできる物語が感情に触れる。

 

 

米津玄師は、インタビューでこう答えている。


『ほんのわずかですけど、自分の居場所があるというのがとてもうれしいですね』


自分の居場所、というのは歌が人に与える影響のことを語っている。

 

歌の居場所だ。


歌は人の脳裏に刻まれ、思い出になる。

その歌を聴くと、当時の記憶が蘇る。


そんな力を歌は持っている。


そういう責任を背負ってくれるアーティストが売れる時代になって欲しい。

Big Fish - Tim Burton

ティムバートン監督の父と子の物語だ。


不仲な父と子が、父の最後に関係を修復するために子が歩み寄る。

 

 

エドワードが子ウィルへ語る話は普通じゃない。

まるでおとぎ話。

 


未来を予見する魔女、


共に旅した巨人、


ウィルの誕生した日に金の指輪で釣った幻の魚、


そんな話をウィルは信じられるわけもなく、

大勢の前で堂々と語るエドワードを恥ずかしく思っていた。


しかし、父の余命わずかと知り、父の話を確かめにいく。

 

 

この物語は人間関係を修復する方法を教えてくれる。


まずは相手に歩み寄ること、


そして、尊重しようとすること、


最後に、自分も体験してみること。

 

 

人が人を批判するとき、大概このステップは踏まない。


ネットやテレビや噂で流れてきた情報の断片をもとに、

自分の立場から批判してしまう。


そうやってたら、いつまでたっても溝は埋まらない。

というか、溝なんか埋まらなくてもいい、

と言う人もいるかもしれない。

 


この映画は、そんな人にこそ見てほしい。

人と人が分かり合えた時、人生は豊かになる。

 

 

僕にも兄弟がいる。


昔から喧嘩ばかりで、はっきりいって仲良くない。


でもこの年になってくると、ふと、

死ぬまでには分かり合えたらな、と思う。

 

 

ウィルが最後にエドワードに、おとぎ話をする。


子が父の気持ちを体験し、父と子が分かり合えた瞬間だ。

 


その時、ビッグフィッシュの意味を知る。